世界が旅する学生アパート

卒業しても学生アパートに住み続けている。

コミュ力の正体part1

コミュ力が低い、高い、コミュ障...

人と会話する能力について、色々言い方がある。

今回は、僕が思うコミュ力のレベルについて紹介する。

 

結論から言うと、コミュ力がマックスレベルの人は、会話を通して他人のコミュ障を治癒するスーパーパワーを持ってる。

 

僕はバーで働いて老若男女、職種、人種問わず誰とでも会話を楽しめる、いわゆるコミュ力の高い人間だが、あるとき友人に

「お前はいいよなあ、だれとでも楽しく話せて。ずるい。」

と言われてカチンときた。

「貴様、僕が何の苦労もせずに生まれたときからこうだったとでも思っとるのか」

 

実際僕は人と話すのが嫌いだった。緊張して体がモジモジしてしまう。視線はきょろきょろして、座っていれば足を組み替えたり、かゆくもないところをかいたり(何度も)、食事中なら何度も水を飲んだり。とにかく疲れた。それに

「なんでそんなにあたふたしてるの?」

なんて聞かれた日には恥ずかしくて、悔しくて、泣きそうで、さらにあたふたした。

まあ、それにはおそらく僕のADHDの多動性が関係しているんだがそれはまたの機会に。

 

さて、まずコミュ障とは何かというところから考えよう。

 どもってしまったり、噛んだり、場をシラケさせたり、相手を不快にしたりなど、会話の事故が怖くて仕方がない、その結果笑われたり、馬鹿にされたりなんて考えたら絶望。

 

その最悪のパターンを回避する一番確実で簡単な方法は、会話から逃げること。

トイレの個室で弁当を食べたり、大きなヘッドホンで音楽を聴いたり、学生なら休み時間寝てるフリをしたり。

そうすれば怖くて仕方がない会話をせずに済む。けどそんな自分が惨めに思える。楽しそうにキラキラおしゃべりして笑ってる人がまぶしい。自分もそうなりたい、けど怖い。

 

症状が悪化していると、本当はうらやましいのに、うらやましくないと自分自身を説得するようになる。みじめな自分を認めないためにとんでもない思考に陥る。すっぱい葡萄。

「あいつらは授業もろくに聞かんと、やれバイトだ部活だ恋愛だとうつつを抜かして、脳みそもろくに入っとらん、哀れな人間だ、ああいうのが一生地元に残ってフリーターでクソみたいな底辺ライフ送るんだよな、ざまあみろ。」

そんな風に考え始めたらもう末期。どうしてこんなになるまで放っておいた!

僕もそこまではいかなかったけど。・・・クソみたいな底辺ライフを送るのは君だよ。

 

つまり、ぼくは会話が怖かった。これをコミュ力ステージの最下層としよう。

 

最下層から一段進んだキッカケは、僕の場合高校生のころに東京03のコントを見たことだった。それまでテレビを見たことがなくて、お笑いってこんなに面白いんだって思った。

どういう会話が面白いのかということをそこから学べた。こういう風にボケたら笑ってもらえるんだな、とか、笑顔で話せば相手も聞いてくれるんだな、とか。

そして実践した。やっぱりどもったり、あたふた落ち着きがなかったり、変な感じではあったけど、明らかに進歩だった。うれしかった。

 

しかし!その時点の僕は、なんかめんどくさいヤツだった。つまり、かろうじて喋るようにはなったけど、空気が読めてない。いわゆる、しゃべるコミュ障だった。

女子に下ネタを話しても引かれるだけだし、かといって今朝ペットの犬が死んだ男子だって下ネタは笑えない。むしろ、鬱陶しい。

相手が笑ってくれることも本当にあったけど、愛想笑いだったり、苦笑いが結構あった。TPOをわきまえていない、間が悪い、輪を乱す、無神経、デリカシーの無い、そんな状態だった。

 

だが、犠牲なくして勝利なし。戦いなくして栄光なし。痛いヤツだけど、それでも進歩してたんだ。

 

続きは、また後日。読んでくれてありがとう。